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山内竧物語

第四章 失

魂の入らないコンクリートの塊

 社ビルを建てるなら、沖縄の中心の那覇にしよう。それまで宜野湾市にいましたから日本の中心が東京なのと同じように、沖縄のことを考えるには、沖縄の中心にいようと、那覇で土地を求めました。バブル全盛期でしたので、ここで価格を書くのも恐ろしいのですが、180坪の土地が4億円でした。
 
那覇 沖縄から発信する企業として、建物は当時、インテリジェントビルとしてはかなり最高ランクの素材や機能を施しました。本土の有名な税理士先生の事務所を見学し参考にしながら、税理士事務所として、優秀な人材が充実した仕事ができるように、5000万円かけ管理システムや在宅勤務システムを開発しようとしました。建物2階には経理学校を作り、各種セミナーなどが催せる部屋も専用に作りました。建物は総額3億円にものぼりました。

 立派な建物と設備だけではダメだ、人材も充実させなくてはならないと、教育にもお金をかけました。県外で行われる研修には、惜しまず社員を行かせ、専門的な長期研修にも派遣しました。年間で契約し本土の優秀な先生を招いて社員の研修も行っていました。ある年の年間の研修費が1000万円超えることもありました。

 働く人が誇りを持てることが、私の夢であり喜びでした。それを考えるとワクワクして、またしても借金の額でクヨクヨ悩まずにいました。まったく困った性格です。

 立派な建物という箱が出来上がって一年目で、私は思惑がずれていることを実感していました。多額のお金をかけてもコンサルティングや即戦力になる社員はいません。十分なお金をかけた社員は、辞めてしまいました。

社員研修の様子

 箱を作っても人財は一日にして成らず。

 人が育つには時間がかかることを思い知らされました。箱ができれば自ずから優秀な人材は集まり、十分に成果を発揮するだろうと思っていた私は、お金をかければ立派な箱が出来ると、箱作りに夢中になっていたのでした。人を育てるのも人任せでなく、自らの手で行うべきだったと焦りだしました。

 魂の入らないコンクリートの塊は、焦っている私には重い荷物になりました。なんとか活性化させたいと願う気持ちと、収益性のある事業で補っていかなければという焦りでした。

つまずく前に聞いた声なき声

 の頃の私は、幅広くコンサルティング業をしており、顧問先の遊休資産の活性化を手掛けることが多くありました。本土とのパイプやコネクションも多いことなどから、大型流通店舗をお客様の土地に誘致したり、継続して賃貸する質の高い企業を仲介したりして顧問先から感謝されていました。

 そんな折、ある方からボウリング事業をやりたい方を紹介して欲しいと依頼がありました。
 
 提案されたボウリング事業は、土地を有効利用したい地主が、借主から建設協力金を受け取り用途に合った建物を作り、契約期間貸すという方式です。この方式を取り入れる前提で顧問先に目を転じてみると、広大地を遊ばせていたり、事業の多角化やイメージ一新したい企業など様々なところが、候補としてあるなと思いました。

 仲介者からいただいたボウリング事業計画書は、資金調達がしっかり出来ていれば、税理士の私からみても魅力のあるものでした。そこで私は、数社にボウリング事業をやってみませんか?と持ちかけてみました。ところがいざボウリング事業の商談を始めると、数社とも肝心なところで頓挫してしまいます。

 「こんな魅力的な事業なのに・・・私がやってしまおうか・・」

 今になって、こうして振り返ることで当時の私は、焦っていたんだと気付くのですが、焦りの気持ちも判断出来ないまま、いつの間にか、自分がボウリング事業をやろうと思ってしまいました。
 
 そこへボウリング場に適した土地を貸したいという企業が見つかり、ボウリングスコアコンピュータは、長年お付き合いのある会社がやっていると分り、話は本格的になってきました。

1%の綻びで城は崩れる ~資金調達の失敗~

 金調達はある金融機関になりました。ボウリング場の土地を貸して下さる企業がこの金融機関をメインで使っていたこともあって、頭取を含めトップ三役にお会いしました。皆、一様に事業性を高く評価していただき、管轄の支店長から99%大丈夫ですよ、と太鼓判を押されていました。ここまでくればもう安心・・そんな気持ちが私の中にはあったと思います。ところがどんでん返しが起こりました。99%OK!と言われた融資が、この期に及んで出来ないと言ってきたのです。

 それは私が差し入れた3億円の建設協力金に対して、土地建物に抵当権が設定されていないことが理由でした。この土地は先順位に沢山の担保が設定されておりましたので、形式的でもよいので、後順位に担保を設定させてくれと、何度も地主にお願いと説明にあがりました。しかし何度交渉しても担保設定の了解は得られませんでした。金融機関は、融資物件に対して担保設定が条件だと最後になって伝えてきました。

 私は最大の窮地に立たされました。既にボウリング場機材は発注され、アメリカから送られ沖縄に到着しようとしていました。機材だけではありません。ボウリング場本体の建設も契約を交わし、全てが動きだしていたのです!!

 ここで事業を中断すれば多額な損害賠償も起こる・・
 そんな事が脳裏をよぎります。
 
 銀行からの借入の道が閉ざされた時、新たな道を模索する時間がありませんでした。急遽できるのはリース契約しかありませんでした。長年、税理士として顧問先の指導をしているわけですから、リース契約のメリットデメリットも承知しています。長期の資金調達の失敗はどのような影響がでるのかも分っていたつもりです。しかし、うつ手がないその場では、何としても誰にも迷惑をかけず、万事をうまく切り抜けるには、自分が責任をとる覚悟で挑むという選択しかありませんでした。

 悔いる暇などなく、ボウリング場オープンに忙殺されました。
 最大のピンチの次は最大の失敗が待っていました。
 
 ボウリング場の売上が、事業計画の3割ダウンでスタートしたのです。「しまった!」と思ったときには時、既に遅しでした。長期の資金調達に失敗した経営は、リースや短期借入の金利負担に耐えられず、毎日資金ショートしていました。あらゆる手を尽くして、経営改善を図りましたが事業スタートの致命的な失敗を取り戻すことは出来ませんでした。
 
 最大の失敗の一つは、専門家を置かず全部私一人で決断したことです。提示された事業計画書の数字を信じ、第三者に検証してもらうことをしませんでした。社外取締役を置いて様々な面から検証することで、中断する選択もあったのだと、今は冷静に思うのです。

 どうにも私の手腕ではならないと判断し、ボウリング場経営権を売却することになりました。

 資金調達の失敗を通して、私は99%大丈夫と確信したことが、残り1%私の力の及ばぬところでほころんでしまうことがあることを身をもって学びました。経営者としての焦りが冷静な判断に水を差す結果になりました。

 物事に100%完全はないことと、数字の怖さも身を以って体験しました。
 
 事業計画書を作成するお手伝いを長年やってきていると、数字に表れたのを信じすぎていました。自分自身で作成していない事業計画書をもっとシビアに分析するだけの、心のゆとりがなくなっていたのでしょう。オープンしてしまえばこのマイナス分は回収できると焦りは、間違った方向へと向いてしまいました。

自社ビル売却へ ~資金繰りの苦しみ~

 ウリング場経営権の売却による失敗を被り、税理士事務所と株式会社グローバル経営研究所はしわ寄せをうけ、経営が苦しくなっていきました。本業と違うところで債務が広がり、本業だけでは資金がまかないきれなくなっていました。このままでは税理士本業まで立ち行かなくなってしまう。従業員だけでなく、顧問先であるお客様に迷惑をかける恐れがでてくる。例えようもない不安と恐れが私を支配します。
 
 毎日資金繰りに追われ、金策に走りました。

 今日も明日も明後日も資金がショートするという毎日でした。しかし不思議と「死にたい」と嘆き悲しむことはありませんでした。どうしてこうなってしまったのか、周囲の人間を恨むこともなく、自分の責任は自分でとろう、と覚悟を決めていました。幼い頃曾祖母が諭した「クサミチンスナーヨー、ヤスンジレー」の言葉とおり、私は冷静に自分の置かれた立場で出来ることの最善を尽くそうと思っていました。

 資金繰りと言えばとても辛い仕事ですが、経営者としては他の誰かが代わってしてくれる訳でなし、逃げずに自分でお願いして調達するしかありません。私はよく朝早く、五時頃から起きて、車を走らせ海に向かいました。海を眺めながらどうしたらいいか?考えていました。風に吹かれながら雄大な海を前にすると、心が落ち着き良い妙案が浮かんだりしたものです。資金繰りが終わると恩納村や遠い人気のない海で釣り糸を垂らしながら、次はどうしたものか?とじっくりと自分に向き合っていました。

イラスト 夕日

 この時の孤独で辛い体験は、後に来店型会計事務所を作るキッカケになりました。経営者は孤独で辛い立場であることを、私は良く知っているからです。あの頃の私がそうであったように、いつでも相談できる人と場所が必要だと強く思いました。

 顧問先のために経理教室を開催したり、優秀な人材を募りお客様の為に良い指導を行うことが使命であったのに、それが出来ないのは本末転倒ではないか。45歳になっていた私は、もっとどうにか建て直し出来るという自信と、今ここで整理すれば、再建可能だという二つの選択肢の間で気持ちが揺れ動いていました。

 会社整理することで生ずる様々な波紋を考えると、足がすくみます。しかし私の決断いかんでは従業員だけでなく、私を信じて今日まで顧問先になっていただいたお客様にも迷惑があるかもしれない・・。考えて、考えて「このビルを売却して会社整理に踏み切ろう」この答えをだしました。

 今の私に出来る最大の仕事は税理士本業であるはず、それをもっと顧問先のために生かせるようにするべきだ。心が決まった私は、ある医療法人にビルを売る決心をしました。これまで苦しいときに、何度もビルを売却することを考えましたが、なぜかその気になれませんでした。しかし今度はすんなりと、売る決心がつきました。それは売却先が医療法人で、このビルが「地域介護センター」としての存在することが大きかったと思います。ビルを売却した後、このビルが雑居ビルになってしまうのが嫌でした。

 「人を生かせる器を、人が誇りを持って働けるところに」

 その想いを代わって受け止めてくれる介護センターなら、地域の人達の為に存在してくれる、という喜びが心の支えになりました。売却後にビルの前を通りがかっても、手放したビルを惜しいと思う気持ちは全くありませんでした。ただ懐かしさと愛しさが溢れてきます。

スロープ

 ドアや壁面素材、設備のひとつひとつも十分に考えてきました。障害者のために設置したスロープは、私が所有していた時には一度も使うこうとがなかったけれど、介護センターならなくてはならないものです。

 「スロープを作っていて良かった。」

 素直に喜ぶ自分の姿を発見し、救われた気持ちになりました。大袈裟かもしれませんが、建てたものが活性化され、生きた証があると喜びで胸がいっぱいになりました。

 魂が入らないコンクリートの塊は、こうして新しい使命を帯びて再生してくれました。一方で私の会社は再建に向けて、和議という大きな決断と共に、債権者の方、お一人お一人を訪ね協力依頼をしてまわる行脚が続きました。どんな罵倒を浴びせられても、受け止める覚悟を決め、誠意を持って取り組むという決意でした。

 しかし、歯を食いしばる覚悟とは裏腹に、債権者を始め顧問先の方々は、どなたも私を励ましてくれました。「山内さんは本業で頑張るほうがいいよ。」「高い授業料だったけど、仕方ないさぁーまた頑張りなさい。」どの言葉にも頭が下がります。笑顔で返す返事でしたが、心で泣いていました。

これからもっと税理士として腕を磨き、お客様の役にたとう!
心の底から誓いました。

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